2006年5月29日 (月)

ブログ移転のお知らせ

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2006年5月27日 (土)

日中一衣帯水の幻

よく日中関係は「同文同種」とか「一衣帯水」の間柄と言われますが、本当にそうでしょうか?たしかに中国からは漢字や律令など多大な影響を受けています。しかし、漢字を受け入れても大和言葉に包み込むようにして受け入れているし(音読・訓読、漢字かな混じり文等)律令ついても日本の風土に合わない制度は取り入れていません。古来、東アジアは中華帝国の册封体制下にありましたが、聖徳太子以来、日本がその中に組み込まれたことは一切無く、全く別の文明圏としての歴史を歩んできたことは周知の事実です。

日中の発想の違いが最もよく現れているのが「死者」に対する接し方です。中国や韓国では時に死者の墓を暴いてでも徹底的に辱めるということが行われていますが、日本においては一度鬼籍に入った方は等しく「仏」として敬われてきました。

靖国神社への参拝についてもこうした発想の違いが大きく出ていると思います。現在の中国共産党政府は「政治・外交的」に靖国参拝問題を利用していますが、根底に死者に対する接し方の違いがあることも多分に作用しているように感じます。

ケビン・ドーク(米ジョージタウン大教授)が5月25日から3回に分けて産経新聞紙上で【靖国参拝の考察】という論文を発表されています。その一部を引用します。

A級戦犯とされた人たちへの追悼が侵略戦争の美化だと断ずることは過酷にすぎる。戦争犯罪というのはベトナム戦争などの例をみても、一方にとっての犯罪が他方にとっての英雄的行為になりうる。東条氏らも当時、国家の責任ある立場にあって戦争が必要だとの判断を下し、自分たちが正しいとみなしたことを目指して失敗した、ということだろう。その戦争での一方が悪で他方が善という断定をいまになってまた下すことには意味がないし、だれにその資格があるのだろうか。

それよりも戦後の法的処理がすみ、講和がなされた以上、故人たちを指さし、誰が誰よりも悪かったのかと追及することではなく、双方の側の戦没者に弔意を表することが最も適切だろう。私たちはみな深い罪を犯しうる不完全な人間であり、死者に対するときは崇敬と謙虚の念を抱くべきである。

まさにその通りだと思います。氏は「中国政府が小泉純一郎首相の靖国神社参拝を軍国主義や戦争の美化と結びつけて非難することはあまりにも皮肉な倒錯である。いま中国が異様なほど大規模な軍拡を進めていることは全世界が知っている。その軍国主義の中国が日本の首相の神社参拝をとらえて、軍国主義だと非難するのだ。」とも述べています。

また、同論文の中でぼく自身も初めて知ったことなのですが、ローマ教皇庁は一九三六年五月に日本の信徒に向け、「靖国参拝は宗教的行動ではないため日本のカトリック信徒は自由に参拝してよい」という通達を出していると言うことです。その後、この通達が取り消されたり変更されたりしたことはなく、むしろGHQによる靖国神社焼き払いから神社を守ったのは当時ローマ教皇庁代表として日本に駐在していたブルーノ・ビッター神父でした。(リンク:国際派日本人養成講座>国柄探訪: 靖国神社の緑陰

となると、日本の「カトリック中央協議会」では「首相の靖国神社参拝に抗議する声明」というのを出しており、首相の参拝は宗教的行動だと述べていますが、カトリック中央協議会は教皇庁に反旗を翻しているんでしょうか??

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2006年5月25日 (木)

侘寂

今日は「日本語千里眼」(明石散人著 講談社文庫)のご紹介を兼ねて。とても面白かったので・・・

「わび」「さび」とは日常よく耳にする言葉で、だいたい「わびさび」とセットで使われることが多いように感じます。日本の精神文化の一つとして語られることも多い「侘・寂」ですが、実は「幽玄・侘・寂」の3点セットなんだそうです。

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